受験勉強の話

2025年2月 9日 (日)

ひたすら仕事をする時期があってもいいはず

Pxl_20250131_230536569-1『司法書士試験 仕事を辞めずに一発合格する方法(河島弥生著)』にあったくだり。「■量と質はどちらが大切か」から引用します。

「テキストを読むことに関して、大切なのは質より量だと思います。なぜならば、量を繰り返すことで、質が生まれるからです。私は本試験までにテキストを25周したのですが、回数を重ねれば重ねるほど読む質が確実に高まってきたなと感じていました」(以上引用です)

最近、いろいろなところで「質より量」という話を見聞きするようになりました。

私自身、司法書士の受験勉強に関しては、過去問や答練を繰り返し繰り返し読んで、問いを見ると、答えだけでなく、解説まで頭に浮かぶレベルまでやっていました。

勤務を始めた後、1年半は「抹消-移転-保存-設定」の不動産登記の案件を繰り返しました。今となっては、最初はいろんな業務が混ざる「ごった煮」事務所より、同じことを繰り返すことで、基礎を作れたと思っています。

今は、私自身の事務所の中で、「仕事の量」に恵まれています。同じことを何件もすることで、気付ける論点というのがある、ことを体感しています。

いわゆる働き方改革によって、残業時間の規制が厳しくなる。勤務時間を制限されると、量を経験できない。例えば、金融機関なんかでも、そんな話を聞きますが、特に若い時期。ひたすら仕事をする時があってもいいはずです。

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2025年2月 1日 (土)

「司法書士試験 仕事を辞めずに一発合格する方法(河島弥生著)」

Pxl_20250131_230536569 「司法書士試験 仕事を辞めずに一発合格する方法(河島弥生著)」は、どんなことが書いてあるのかな~と気になって、読んでみました。

私自身は、定職に就いていなかったのに、1回目の受験を落として、2回目で合格しています。

2回目の受験期直前6か月間は、早稲田セミナー(通学)と日本司法学院(通信)の答練を並行して受講して、結構ハードなメニューを課しました。答練がペースメーカーでした。

模擬試験で「全国で何位」というのは毎回気にしていたし、上位3位に入って「太字で名前を書かれたい」と真剣に思って、勉強していました。モチベーションを維持するには、そんなことくらいしかなかった。

この2点だけでも、本に書かれてあることとは、違います。

こんなことを書くと、負け惜しみになりますが、私自身は、受験生2年目にみっちりと勉強できたことが、司法書士人生の基礎になっています。

もちろん、受かったもの勝ちです。1回目で合格していたら、私はまだ23歳だったので、より選択肢が広がった可能性はあります。

一発合格した人と一緒に、仕事もしてきました。受験生とも仕事をしてきました。そんな中、「それ試験勉強でやったよ」という話は、私から吹っ掛けることが多かったです。

今でも、受験の本に戻ることあります。特に、日本司法学院の基本書です。

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2025年1月18日 (土)

CFP試験「相続・事業承継設計」は司法書士業務に直結

Pxl_20250118_011953891 スタッフ用に、CFP相続・事業承継設計の通信講座、申し込みました。

司法書士業務に、直結する内容。逆に、相続のお仕事をしていくのに、「司法書士による登記」の視野では足りないため。

私自身、平成17年12月にAFPの登録後、CFPの試験は「あと1科目」のところで、足踏みしています。

・平成22年第1回 相続事業承継 合格
・平成22年第2回 不動産運用設計 合格
・平成23年第1回 タックスプランニング 合格
・平成23年第2回 ライフ・リタイアメントプランニング 合格
・平成24年第1回 リスクと保険 合格

残り、金融資産運用設計の1科目合格でCFPに登録できる中、10年が経過。当時は「司法書士でCFPは希少価値!」と思って勉強してましたが、モチベーションが保てなくなったこと。

仕事しながらの受験勉強は、時間的な制約と共に、雑務との兼ね合いもあります。特に最近は、平日は外に出ていることが多くて、休日になると、書類が山積み。経営上の不安があると、呑気に勉強してられません。

受験勉強している最中、あれ、無理が利かなくなった?体調不良は受験勉強が原因?と感じたこともありました。

と、言い訳は何とでもできますが、「自分も一緒に勉強する(ちなみに、AFPをすっ飛ばして、CFPの受験はできません)」と決めるかどうかは、私次第。

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2024年11月 2日 (土)

1回目の司法書士試験が終わった後

Pxl_20241014_045143193-1平成8年7月、1回目の司法書士試験の受験を終えた後で、20日間の中国の旅。

就職浪人をして「あと1年」、受験勉強を続ける私に、親は何も言いませんでした。何を言っても聞かない子、ということは、もう伝わっています。やりたいように、させてくれました。

平成9年7月の試験にピークを持っていくには、早く仕上げてしまっても続かない。年明けから、早稲田セミナーと日本司法学院の答練を受けることを決め、平成8年中は、わりとのんびりとしていました。

基礎講座に合わせて始めた「なんば」での居酒屋のバイトには、引き続き通っていました。勉強に集中するために、環境は変えないほうがいい。

12月は、28日勤務という無茶なことをしています。お金が必要だったわけではなく、ただ、仕事するのが楽しかっただけ。

3日しかない休みのうち1日は、祖父が亡くなった日で、祖父が自宅マンションに戻った横で(病院から葬儀会場に直接移動するのではなく、一度家に連れて帰っていたのが、今とは違う話)、孫たちで肉じゃが作ったことが、記憶に残っています。

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2024年10月26日 (土)

1回目の司法書士試験の後は中国への旅に

Pxl_20241014_045117628 平成8年7月7日に、1回目の司法書士試験が終わった後、7月12日から31日まで。19泊20日で、中国への旅行に出ています。

行きと帰りの飛行機のチケットと、20万円程度は持っていたという記憶があるものの、日本を出た時点で中国のホテルは取っていません。

北京で留学中の友達と合流。バックパックを背負って、成都、重慶、武漢と回っています。移動手段は、寝台列車、飛行機(中国の国内船)、山峡下りの船。宿泊先の確保は全部、フロントで「今日空いていますか?」でした。

今と違って、携帯電話を含む通信機器がありません。3段式の寝台列車では、こんなとこで寝れるわけがないと思いましたが、意外と快適。三峡下りの観光船も中国人と一緒で、最初に乗り込んだ安い船はあまりにひどい環境で、出発前に逃げ出しました。

今からすると、よく行ったものだと思いますが、恐さを知らないのは、若さの特権。冒険好き、拘束されたくない、というのは、今と同じです。

旅行の工程表を書いている手帳のページに、「受験番号最後の50人は3列。その他4列」とメモしていました。司法書士試験の会場、受験番号が若い教室は、何とも言えない重たい雰囲気。最後のほうは、受かるつもりで来ている人は少ない。

翌年の司法書士試験では、わざと願書の提出期限ぎりぎりに出すことを決め、平成9年。大阪の合格者の中では、一番最後の受験番号で合格しています。

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2024年10月19日 (土)

司法書士試験1年目の結果

Pxl_20241014_045143193「司法書士としての終わり」も意識しつつ、「司法書士を志した時期」のことを思い返しているのは、きっと「今が中間地点にいる」ということなのだろう、と思っています。

開業23年目で、51歳。あと23年経てば、私は74歳になっている計算。

いろいろありながらも、振り返ってみると、短かった。だから、残りの司法書士人生。大事に生きていかなければ、と。

司法書士試験の受験勉強を始めたのは、平成7年4月。
1回目の受験は平成8年7月になりますが、平成8年の本試験は、午前28問/35問、午後22問/35問で不合格でした。

基礎講座が終わったのが平成8年3月末。本試験まで3か月ちょっとしかない時期から、全部の科目を回すのは物理的に厳しいとして、全然ダメな結果ではなかった。「もう一年だけ」と決めて、勉強を続けることになります。

当時の手帳を探しました。基礎講座を受講していた時間は、平日の18時半から21時20分まで。帰宅すると22時なので、若かったからできた話。

でも、今から考えると、仕事してなかったんだから(平成7年度のバイト収入は74万円)、もうちょっとできたんじゃないか、と思ったりもします。

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2024年10月14日 (月)

「司法書士試験の受験生になる」と決めた私の話

Pxl_20241014_093020782 「司法書士試験の受験生になる」と決めた私に、親からは「学費は出す。そのかわり、自分の小遣いは自分で稼ぐように」と言われました。

当時、自宅から一番近かった「なんば」のLECに通うことを決めたと同時に、なんばで居酒屋の仕込みのバイトを始めました。14時から17時まで。なんばでバイトすることにしたのは、通学のための交通費ももらおう、という計算。

料理の技術も身に着いたので、今の家に引っ越してからは、「朝食の準備」は、私の役割です。

働くことは、当時から好きでした。大学2年の夏休みには、3か所掛け持ちでバイトして40万円稼いだり。父親に「よく働くな」と言われた時は、やった!と思ったものです。

LECは、最初は週2回の授業。週3回だった時期が一時あって、バイトを終えてから教室に通う。授業のない日は帰って勉強する生活が始まりました。「3時間の授業に対して、6時間の復習が必要」「1回休むと、取り戻すのに3か月かかる」とも言われました。当然ですが、基礎講座は一度も休むことなく、通っています。

『資格で人生の選択肢を増やせ』の竹下先生とは、LECの申し込みをした後に、出会いました。順番が逆だったら、間違いなく早稲田セミナーでした。

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2024年10月13日 (日)

梅田スカイビルにあったLECの大阪本部

Pxl_20241013_020430838青空の下にある、梅田のスカイビル。スカイビルには、昔は、LECの大阪本部があって、司法書士の受験勉強を始める時、講座の説明を聞きに来ています。平成7年のことです。

スカイビルに通じる地下道が暗かったことと、対応してくれたお姉さんの感じがよかったこと以外、記憶はありません。

大学4年生になる頃、このまま何の興味もない会社に就職するのかと、取り寄せたパンフレットを見ていた時、どういう流れか、「司法書士を目指したい」と言い始めた私。大学3年生の時に受けた、行政書士試験の合格発表があったばかり、の時期でした。

LECの「15か月合格講座」を受けたいと言った私に、本当かどうか、母は「ちょうど満期になる定期があるわ」と言ってくれました。大学の学費と二重の負担になる、という想定外の事態なのに、母親はいつも私の理解者でした。

父親とは、しばらく口を利かなかった記憶があります。「いい大学に入って、いい会社に入れ」という父親の理想に、ことごとく背こうとしているのですから、当然です。

そのくせ、司法書士試験に合格した時は、「息子が合格した」と会社に言いふらし、勤めていた会社の登記の仕事を取ってきてしまう、という、親バカぶりを発揮しています。

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2024年9月19日 (木)

「心して狭き門から入れ」の意味

Pxl_20240919_055306559mp病院の駐車場にある階段。片側は広くて、片側だけ狭くなっています。

その瞬間、「心して狭き門から入れ」という言葉が、頭に浮かびました。

誰かが言っていたのか、どこかに書かれていたのか。言ってたとしたら、中学生時代の先生のような気がします。

よく成功者の方が言われる、「迷ったら、困難な道を選べ」という言葉は嫌いです。私であれば、そんなことはしないです。後から振り返ったら、そうだった、ということはあるかもしれませんが、ただ、そっちに進みたかっただけ。

だから、「心して狭き門から入れ」も、「狭い門をくぐるからには、それだけの覚悟を背負いなさい」だと受け止めています。

そもそも、司法書士試験をくぐり抜けた時は「狭き門」でした。

私自身、司法書士の門をくぐった時は、覚悟も自覚も足りなくて、狭い道をくぐっただけで安心したもの。成功者になれたと錯覚したものですが、狭い道だと思ったのが、入ってみると実は広くて、今は、広いからこそ難しい世界、だと思ってやっています。

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2024年2月22日 (木)

司法書士試験に合格した時の六法

Camerazoom20190220185147814「司法書士試験って、難しいんでしょ?」と話を振られると、どう答えたらいいのか分かりません。

きっと「そうですね」が、模範解答なのでしょう。

試験に合格してから5年弱、勤務時代がありました。「司法書士試験に合格した自分」が凄いと思っていたのは、むしろ、勤務時代だった気がします。

余談ができる環境ならば、今は「試験に合格した後のほうが大変です」と答えます。それが本音です。

同じ試験に合格した人たちなのに、同じ人生を歩むことはありません。試験に合格した後の過ごし方、生き方、考え方次第で、大きな違いを作るからです。

でも、試験に合格した当時に使っていた六法は、大事に取ってあります。

記念、思い出。自分がやりたいことを、やりたいように勉強していた証です。

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