【土・日連載】司法書士の足跡

2026年1月25日 (日)

令和7年度の事件分類別の売上比率=「登記>後見」

Pxl_20260125_054535520司法書士会に、令和7年の業務報告書を送信。毎年、区分ごとの受託件数のみ、報告することになっています(提出期限は翌1/31)。

令和7年度の事件分類別の売上比率は、請求システムにきちんと入力することで、自動で数字が出てきました。
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登記:38.3%
後見:36.7%
裁判書類作成:8.8%
遺産承継:8.6%
死後事務:3.5%
行政書士:1.9%
その他:2.2%
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辛うじて、後見業務を上回るのが登記業務の売上。司法書士である以上「登記」という軸は、ぶれてはいけない。

弁護士さんからも、税理士さんからも。そして行政書士さんからも依頼される業務といったら「登記」なので、今年もそんな感じになればいいなと思っています。

ひと昔前、債務整理が多かった時期も、不動産登記は、平成18年が昨年と変わらない件数。商業登記は、平成19年・平成20年は、去年よりも申請件数が多かった。

当時は、若かったからできた。今は、そこそこの年齢だから、何とかできる。人生経験が乏しい過去の自分に今のことはできないし、今の自分に、若い時と同じことはできない。抽象的ですが、そんな感覚です。

◎リンク 堺市の司法書士吉田事務所メインサイト 分類別取扱い件数

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2025年11月16日 (日)

若さと勢いで走れる期間には限度がある【司法書士事務所運営】

Pxl_20251116_105610946 昨日「事務所が軌道に乗った頃、土日に休みを取れるようになった」と書いていました。

振り返ってみると、事務所のメンバー3人で上海に旅行に行ったのは、2005年7月。「20年も前の話なのか…」ということより、「開業してからまだ3年じゃないのか」という部分で、驚き。

あの頃は、「ホームページで個人のお客様に依頼に来てもらう」という方法で、司法書士業界に一石投じたと思っていました。浮かれていたというか、ずっと楽しい状態が続くと思っていました。

若造なのに、世の中のこと、分かった気になっていた面もあります。

2年後の2007年4月には、事務所で香港にも行っています。

若い時に限らないことですが、一時的に「自分は成功したんじゃないか」と錯覚することがあります。でも、ずっといい状態が続くわけではなく、山あり谷あり。失敗することもあれば、痛い思いをすることもある。

でも、『成功者の告白(神田昌典著)』を読んで、山あり谷ありが普通なんだと、分かりました。

開業してから、若さと勢いで走れる期間には限度があるのと、そのステージごとに、悩みは変わります。きっと、事務所を閉める時まで、「これで安泰」と言えることはないのだろう、と思っています。

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2025年10月 4日 (土)

司法書士試験に合格してから28年・・・

Pxl_20241014_045149455 私が司法書士試験に合格したのは、平成9年10月1日(筆記試験の合格発表日)。もうすぐ30年になるのかと思うと、時の経過が重た過ぎます。

勤務時間に抜けさせてもらって、大阪法務局に掲示されていた受験番号を見に行きました。

入院中だった母親のポケットベルにメッセージを入れると、すぐに電話が。「長かったね」と言われたことが、記憶に残っています。受験勉強の期間、周りのほうが長かったのでしょう。

「合格した」とあちこちに知らせた際、唯一、辛口のコメントが返ってきたのは、中学時代の担任の先生。「これからがスタートではないでしょうか」と書かれていました。今からすると、まさしくそのとおり。

試験合格後、すぐに勤務の待遇を変えてもらえた当時の自分に、その意味を理解できることはなく、平成14年6月まで、勤務の期間を過ごしています。

勤務の期間は、お給料をもらってそれで満足。今から思うと、若い時にハードな勤務を経験しておくべきだったし、勉強もしておくべきだったと思うのですが、仕事の大変さを自覚するのは、平成14年7月に独立開業をして、人を雇用して、そこからです。

その中学時代の先生は、開業から18年経った頃に、ひとりの依頼者として事務所に来てくれています。認めてもらえるまで、時間がかかりました。

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2025年8月30日 (土)

司法書士事務所にかかってくる電話対応が難しい事情

Pxl_20241117_075329015mp-1 開業の時、地域の人に、事務所を知ってもらう手段として、市役所や郵便局の封筒に、広告を出していた話は書きました。

反響がどの程度だったか、記録も記憶もないのですが、一番の問題は、事務所に問い合わせの電話があっても、私がいないと対応できない。「なんか電話がかかってきたけど、答えられないので切られた」みたいな話が、たくさんあったことです。

「広告を出す」という方法は、勤めていた事務所ではなかったことなので、どういう過程を踏んでお仕事が入ってくるのか、というイメージができていなかった。マニュアルを作ったのは、3年目。3人態勢になった後です。

司法書士に限らず、他の業界でも同じで、「ホームページは作られたほうがいいです」という話は、エンドユーザーを対象にお仕事されている方に、聞かれたらお話ししますが、「かかってくる電話に対応できるのが、社長しかいない」となると、ひとり親方の世界で行き止まり。

今のウチの事務所では、いろいろと工夫を重ねて、最初にかかってきた電話には、私は出ないようにしています。

「司法書士に話を聞いてから、相談したい」という電話は、時々あるのですが、電話を取ったスタッフが、前さばきをしています。

電話対応、とても難しいです。まずは、営業なのかどうかの選別。司法書士業務なのかどうかの見極め。費用を聞かれたら、ある程度の内容を把握しないといけない。かといって、聞き過ぎると、延々と話をされる方もおられます。電話でのご相談はお受けしていません。

「電話対応」に限っても、司法書士の事務所作りというのは、奥が深くて、面白いものでもあります。

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2025年8月24日 (日)

仕事を増やすのに「お酒の場」はなくて大丈夫

H1454-hp-012 私が開業した時は、今からすると、大丈夫かと思うくらい、何も考えてなかった。

ただ、当時は、ホームページを持っているのが少数派だったので、ホームページをオープンしてから、わりとすぐに、お仕事はきています。

あとは、有志で開催されていた無料相談会に混ぜてもらって、毎月、そこからお仕事を受けていました。

開業の時には、手作りの挨拶状は送りました。でも、挨拶状を持って、どこかに出向いたとか、自分の足を運んで、売り込みに行ったようなことはないです。

開業早々、JCに誘われて、一度、何かの集まりに参加しています。でも、自分のいる場所じゃないと思ったので、すぐにお断りしました。

「ぱど」とか、地域の情報誌には広告出しました。市役所や郵便局の封筒に広告も出しましたが、それほどの効果はなかった。今からすると、これが「集客が上手くいかなかった」になるのでしょうか。

でも、今から思うと、ワンルームマンションの司法書士事務所に、よく来て下さったな、と思うくらい。

忘年会とか、食事に誘われたら、出向くようにしていました。でも、最近は、仕事関係での飲食は、ほぼないです。

他士業の先生との付き合いも、徐々に増えていきましたが、仕事で必要な関係を作るのに、お酒の場は要らないと思っています。お客様主催の忘年会とか、社内行事に呼んでもらっても、行っていないです。

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2025年8月23日 (土)

せっかく独立するのに嫌なことはしなくて大丈夫

Pxl_20250823_111926528 一昨日の話の続き。後見人として施設に出入りしているうち、「他にも後見人が必要な方がおられるんです」と言われるのは、まさに、仕事が仕事を生んでいるような状態。

しかし、これは狭いひとつの「施設」という世界だから、それが見えやすいだけであって、他の業務であっても、一緒です。

金融機関とのお付き合いも、何も特別なことはなくて、ひとつひとつ、きっちりやっていくだけ。

巷の情報では、司法書士として食べていくには、営業しないといけないとか、集客が難しいとか。あちこちに顔を出さないといけないとか、そんな話を、受験生だった私が目にすると、「自分にはできない」と絶望します。

私の時は、今のようなSNSやユーチューブもなくて、情報が少なかった。

だから、同じ事務所から、先に独立した先輩の背中を追いかけただけ。事務所の先生からは独立を止められたので、先輩の背中がなかったら、出れなかった。

ブログも、「何ですかそれ?」と真似をして、開業3年目から続けてきました。今日の記事で、7,327件目。1年365日、20年間続けて7,300件なので、今ちょうどそれくらいです。

◎リンク 堺市の司法書士吉田事務所 コラム40 「営業行為」をしない司法書士事務所(事務所案内)

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2025年8月14日 (木)

私が司法書士になった理由

Camerazoom20200810122556271 父方のお墓参りも済ませて、お盆の行事は終えました。

おじいちゃんとおばあちゃんには、悪いことしたけど、そのおかげで、自分は今、司法書士として仕事をさせてもらってる。そういう意味では、感謝するしかない。

父方の親との同居を選んだがために、父は相続で揉めた。それで私は司法書士になった。

話が飛躍し過ぎていますが、当時の私は、小学校4年生。小学生に社会の裏側は見えません。

求職者の方からは、よく「社会の役に立ちたい」という話を聞くので、素晴らしいなと思うのですが、私が司法書士になったのは、自分自身のため。

司法書士になって見えたことは、我が家で起きていたことは、世間ではよくあることで、何も特別なことではなかった、ということ。

司法書士の知識があったら、相続で揉めないのか。そういうことではないですが、「こうやったら揉める」というのは、経験上分かっています。だから、揉めないようにしましょう。

相続の手続きを放置するのではなく、身の回りのことが落ち着いたら、そのままの流れで着手する。相続の話をこじれさせないために、これもまた基本的なことだというのも、身を持って経験しています。

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2025年6月22日 (日)

過去のブログ本で令和3年を振り返る

Pxl_20250622_111253752電車での移動中に読み終えたブログ本(17)は、令和3年分。

考えていることは、基本的に変わらないものの、令和3年というと、つい最近なのに、ずいぶんと変わっているなと、思うことも。

「司法書士報酬の支払い、キャッシュレスで受けられるように準備しています(3月9日)」は、その後、司法書士の業界内で、キャッシュレス決済は広がっていない感じなので、やってよかった。

「同居家族に内緒の債務整理を制限(4月9日)」。これは、当時としては思い切った試みだったのですが、結局、最後まで「内緒で」の案件を拒めず、進行に苦労することになります。

「LINEアカウントの案内ページ作成(4月13日)」。今となっては、なかったら困る通信手段も、まだこの頃が初期。

「来客用のお茶はペットボトルのお茶(7月9日)」は、逆に、自前のお茶を人の手を使って注いでいた時期があったのか、と。

「マルチディスプレスを実現(9月19日)」は、これまた4年前まで、画面ひとつで仕事してたのかと驚き。今では、トリプル。

「後見の就任中15件の壁を超える(10月23日)」は、当時としてはやっとのことでしたが、今は「30件」を超えています。

「仕事に年齢は関係ありますか?(12月9日)」の質問に、「ある」と答えたという話。

これは、業務によりけりであるものの、今でも「ある」と答えます。司法書士業務は、人生経験が問われるお仕事。積み重ねが大事なお仕事であると、思っています。

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2025年5月24日 (土)

3回目の事務所移転は「拡大」ではなかった

54483159_1092908クラウド上の写真。自動で出てくるよう設定しているのが「〇年前の今日」の写真。

毎年、この時期になると出てくるのが、現事務所建築時の写真で、今年で「11年前」になります。

平成26年5月23日に基礎工事着工。6月16日に足場の組み立て。6月17日に鉄骨の組み立てと外壁・窓が入る…。

今の事務所での営業開始は、7月26日。平成14年の事務所開業から、3回目の引っ越しでした。

開業の時はもちろんのこと、毎回の引っ越しのシーンは、鮮明に覚えていますが、それまでの毎回と違ったのは、「事務所の拡大」ではなかったこと。

勢いで、事務所を大きくするのは簡単。ただ、小さくするのは、本当に難しい。これは、経験した人じゃないと、分からないことです。

事務所の面積を狭めれば、机や本が置けなくなる。家賃を下げようとすれば、不便な場所に行くか、古いビルに行くしかない。

1年くらい「何かいい方法がないか」と、あちこちウロウロと見ていた中、唐突に現れた『売家』の看板。維持費を下げつつも、面積は変えない。ここなら「三国ヶ丘駅近」の場所も変えなくて済む、究極の選択肢を実現できたのが、今の事務所となります。

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2025年4月 5日 (土)

いろいろな「30周年」がやってきます

Pxl_20250405_013649842 司法書士試験の受験勉強を始めたのが、平成7年4月。この4月で、受験勉強を始めて30年になります。

「合格してから30年」「開業してから30年」と、今後いろいろな『30周年』が訪れる予定。

「司法書士試験って、難しいんでしょ?」と、いまだに聞かれますが、今となっては、若いうちに合格してしまえたからよかった。頭の中に、余分なことが少ない状態で勉強して、最短距離を目指してやってきたからよかった。

だから、今でも受験勉強でやったことが、結構頭に残っています。

社会人経験がないまま司法書士になったことが、ハンデだったかどうか。周りから見たらあったのかもしれませんが、自分ではあまり感じません。

それだけ、「士業の鎧」をかぶらせてもらえることは大きい、のだと思っています。

足らなかったであろう部分は、開業してから、いろんな出来事を経て、自然と身に付けさせてもらいました。今でも「修行」としか思えないような出来事はあります。欠けたままの部分の自覚もあります。

30年続けて来られたのであれば、人生の選択、間違えていなかったのでしょう。でも、総括するのは、まだ先です。

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